【七月】文月(ふみつき)穂見月(ほみづき)
短冊に歌や字を書いて、書道の上達を祈った七夕の行事に因んで
「文披月(ふみひらづき)」が転じた説…。
また、穂が見えるようになる頃であることから
「穂見月(ほみづき)」が転じたという説…。(ふづき)とも読むらしい^_^
心のオアシス癒し処サッチすまいる
傾聴スマイリングセッション
桜井のパワフル人情派おかんサッチひとみです!
必要としている方々と出愛(会い)
【辛】に 【一】を加えて【幸】
悦び幸せの導き”縁づくり”
ご一緒に幸せ探し…。
七月と言えば、皆さんに、とって、どんなイメージをされますか???
そうですね。サッチは…。はやぃ〜!!もう半年の折り返しやわ(笑)と、同時に新たな芽生えがムクムクと湧いてきてます。
そして七月といえば
🎶ささの葉さらさら〜〜♪
♪のきばにゆれる〜〜♬
♬お星さまきらきらー♪
♬〜きんぎんすなご……〜♬🎶
そもそも、七夕の織姫と彦星はどうして離ればなれになって会えないのか、なぜ一年に一度しか会えない理由は意外と知られてないような…。!????
七夕ストーリーの織姫(おりひめ)さんと
彦星(ひこぼし)さんの
お話をおさらいすると…。
《ネット検索してみました》
【古来中国では、「天帝(てんてい)」という、天空でいちばん
えらい神様がいて、
その天帝には、美人で機織りの名手
【織女(しょくじょ):織姫(おりひめ)】
という娘がいました。
その織女(織姫)は、天の川の西側に住み、空の神様たちの着物の布を織ることを仕事としていたそうです!!
毎日、天の川のほとりで世にも美しい機(はた)を織り、
その美しさは、五色に光り輝き、季節が変わる毎に色とりどりにかわるという見事な布でした。
天帝は、娘織女(織姫)がとても自慢でしたが、機織りに一生懸命で、自分の髪や服をかまうことも遊ぶこともしないため、男性と出会うこともありません。
ただただ、熱心に仕事に打ち込む織女(織姫)をかわいそうに思った
母・天帝は、娘に似合いの青年を探していたところ見つけたのが
「牽牛(けんぎゅう):彦星(ひこぼし)」です。
牽牛(彦星)は、天の川の東となる対岸で、牛の世話をしながら、畑仕事に精をだし、休むまもなく真面目に仕事をしている働き者でした。
その青年、牽牛(彦星)を織女(織姫)に引き合わせたところ、二人は恋をしてやがて結婚したのです。
二人が結婚してからというものは、とても仲の良い夫婦になったのですが、
楽しさにかまけてお互い働くことやめ
毎日遊んで暮らしてしまいました。
その結果、織女(織姫)が機を織らなくなったので、機には埃が積もり、やがて神様たちの着物は
すりきれてぼろぼろになるのです。
牽牛(彦星)も、畑は荒れ、作物は枯れ、牛の世話をしなくなったので、ついには牛はやせ細り、病気になってしまいます。
これに怒った天帝は、二人を広い天の川の東西の両岸に引き離してしまったので、お互いの姿さえも見ることができなくなりました。
しかし、引き離したところで二人は悲しみのあまり毎日泣き暮らします。
離れ離れになっても、結局織女(織姫)は機を織らず、牽牛(彦星)もひきこもり、牛の病気はますますひどくなっていくばかりでした。
困った天帝は、二人が毎日まじめに働くなら、年に1度、
【7月7日の夜に会わせてやる】と
約束するのです。
その言葉に織女と牽牛(織姫と彦星)は、一年に一度の七夕の夜に会えることを
楽しみにして心を入れ替えるのです。
織女(織姫)は前にも増して美しい機を織るようになります。
それで、みなが喜び、牽牛(彦星)も同じく一生懸命牛の世話をしたため元気を取り戻し、畑を耕し豊かな実りをもたらしたのです。
これが、現在私たちがよく知っている七夕の伝説だそうです。
七夕伝説の織姫と彦星のお話はロマンティックな星の物語でありながら、教訓を与えてくれるものでもあるそうですね。